速弾き演奏 vs タマシイのこもった演奏・・・
突然ですが、以下の主張(?)をとりあえず読んでみて下さい
ㅤ ↓
「たまに朝食でパンを食べると確かに美味いとは思うが、しかし、2~3日も続けてパンだと飽きてくる。それに比べ、御飯は毎日食べても飽きる事はない(だからパンより御飯の方が優れているのだ)」
もし上記の主張を不特定多数の人が見聞きする場所、それもパンを主食とする人々がいるであろう場所でしている人がいたなら、周囲から
↓
「この人、ア〇マ大丈夫???」
↑と思われても不思議ではないですが、これと似たような主張をギターの世界でもちょくちょく見かける事があります。おそらく皆さんも一度は見かけた経験はあると思いますが、それはおおよそこんな感じの主張です
↓
「たまに速弾きを聞くと確かに凄いとは思うが、しかし、10分も聞かないうちに飽きてくる。それに比べ、音数は少なくてもタマシイのこもった演奏は飽きる事なくいつまでも聞き続けられる(だから速弾きより魂のこもった演奏の方が優れているのだ)」
上記のような主張は基本的に、速弾きが大好きなヤツ(≒ギターを弾き始めたばかりのヤツや、弾き始めて数年の青二才)に対して述べられる「正論」や「痛烈な皮肉」として繰り出されるのが通常のパターンですが、そもそもこの主張、最初に書いた「御飯>>>パン」の主張と同じく
↓
「それ、単純にあなたの好みの問題ですよね?」
↑って話なんですよね。
個人的見解を述べますと、自分の好みを人前でアピールするのはその人の自由だとは思うんですけど、勝手に個人個人の好みに優劣をつけ、しかもそれを他人に押し付けるかのような言動は少々やり過ぎだと思うんですよねぇ・・・。
と言うか、それ以前に「タマシイがこもってる or こもってない」の境目と言うか基準ってドコで、それは誰が決めたんだ ←って言う話でもあって、こうなるといよいよ
↓
「その話って、要するに始めから終わりまで全てアナタの主観でしょうに・・・」
↑って話な訳で(以下略)
でもまぁ、この「速弾き厨 vs タマシイ厨」の熾烈な論争もギターの世界を盛り上げるための欠くべからざる要素であるのかもしれませんね(←一応、うまくまとめたつもり)
と言う訳で、今回はこんなところです
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「たまに朝食でパンを食べると確かに美味いとは思うが、しかし、2~3日も続けてパンだと飽きてくる。それに比べ、御飯は毎日食べても飽きる事はない(だからパンより御飯の方が優れているのだ)」
もし上記の主張を不特定多数の人が見聞きする場所、それもパンを主食とする人々がいるであろう場所でしている人がいたなら、周囲から
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「この人、ア〇マ大丈夫???」
↑と思われても不思議ではないですが、これと似たような主張をギターの世界でもちょくちょく見かける事があります。おそらく皆さんも一度は見かけた経験はあると思いますが、それはおおよそこんな感じの主張です
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「たまに速弾きを聞くと確かに凄いとは思うが、しかし、10分も聞かないうちに飽きてくる。それに比べ、音数は少なくてもタマシイのこもった演奏は飽きる事なくいつまでも聞き続けられる(だから速弾きより魂のこもった演奏の方が優れているのだ)」
上記のような主張は基本的に、速弾きが大好きなヤツ(≒ギターを弾き始めたばかりのヤツや、弾き始めて数年の青二才)に対して述べられる「正論」や「痛烈な皮肉」として繰り出されるのが通常のパターンですが、そもそもこの主張、最初に書いた「御飯>>>パン」の主張と同じく
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「それ、単純にあなたの好みの問題ですよね?」
↑って話なんですよね。
個人的見解を述べますと、自分の好みを人前でアピールするのはその人の自由だとは思うんですけど、勝手に個人個人の好みに優劣をつけ、しかもそれを他人に押し付けるかのような言動は少々やり過ぎだと思うんですよねぇ・・・。
と言うか、それ以前に「タマシイがこもってる or こもってない」の境目と言うか基準ってドコで、それは誰が決めたんだ ←って言う話でもあって、こうなるといよいよ
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「その話って、要するに始めから終わりまで全てアナタの主観でしょうに・・・」
↑って話な訳で(以下略)
でもまぁ、この「速弾き厨 vs タマシイ厨」の熾烈な論争もギターの世界を盛り上げるための欠くべからざる要素であるのかもしれませんね(←一応、うまくまとめたつもり)
と言う訳で、今回はこんなところです
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